天長節 in 大正時代

FedoraOpera 騒ぎでうっかり忘れるとこだった。大正時代の祝日としての天皇誕生日(当時は天長節と呼んでいた)は 10月 31日です。
大正 2年にお触れが出て、本当の誕生日は 8月 31日だけどその頃は暑過ぎるので陽気の良い 2ヵ月後を天長節天皇誕生日の儀式をする日)にすると定めたのでした。
って事は、その時代は 10月 31日と 11月 3日で秋のゴールデンウイーク(!)だったのか、、。もちろん振替休日制度はなかったし、土曜も休みではなかったけどね(笑)。以上、情報源は当時の雑誌 at 古本屋です。
ついでにその時代の雑誌をぱらぱらめくってたら、最近話題の有栖川宮終焉の記事もあった。先に後継ぎの皇子をなくされた有栖川宮が病死し宮家がなくなってしまったというもの。亡くなる前に療養していたの場所の舞子という記述が少し気になる。
この舞子は塩沢石打インター近くの新潟県塩沢町の舞子だろうか、まさか琵琶湖畔の舞子?はたまた神戸の舞子?