西埼玉

今日も行きで迷った。先週とは反対に北へ進路を取り過ぎ、気付いたら二つ北の駅付近に出てしまった。適当に(これがまずいのだが、笑)走っていると町役場があったのでそこに入り道を聞く。役場の人も細い道ばかりと同情される。この様子では、一発で着けるようになった頃には今期の講義は終了してしまうかも。
ちょびっとだけ講義の内容。医療におけるパターナリズム批判と患者の自己決定権について。親が子供のためを思ってあれやこれや強制するのは世界中どこでも見られる自然な感情だが、そうした態度が成人対成人の関係にまで持ち込まれると批判の対象になる。いわゆるインフォームド・コンセントを徹底する重要性があるというお話。
それだけではあんまりなので、「かけがえのなさ」という概念についても考えてもらいたいと強調しておいた。パソコンなんていくら名前を付けて愛用していても、壊れたらいくらでもより良い代用品がある。配偶者だって別れた方がより良い相手にめぐり合えるかも知れない。そこまで達観している人であっても、自分自身に「換え」はありえないだろう。
その「かけがえのない」自分自身の一部である身体をいじくる事になる医療において、治療方針や方法を決定する権限はどう考えても患者にあるだろうという話。
講義終了後、最後に少し触れた愚行権 *1 について質問があった。
それぞれの人は自分の幸福を追求出来ると講義中に言われたが、死ぬ事が自分にとって最も幸せだと主張する病人に対した場合、自分はどう対処したら良いのでしょうか。医療系の学生らしい深刻かつ真面目な質問。こういう問題を一度も考えずに医療の現場に出ては欲しくないので、二、三アドバイスをしておいた。

*1:自分にとって不利益になる事を当人が望んだ場合、正常な理性的判断能力がある成人については誰もそれを止められないという考え方。当然無限定に認められはしない。