何とか説

Asa Understands Normal Users and Firefox Users
騒ぎの中でエイサが書いていた Noraml Users は、日本語なら「大衆」とでも呼ぶのだろうか。そのように読み替えて、ここの検索欄にその単語を入れて探してみた。

この一般大衆の一部が、Firefox へ向い始めているのは事実だろう。オタクではない大衆は、オープンソースだからとか、機能が多いとか少ないとかなど気に掛けてはいない。IE より安全そうだから、操作あるいはボタンが IE で覚えたのに似ているから、そして無料だから使っているに過ぎない。この層を取り込めた Firefox は 10% を超える share を獲得した。この層を取り込めずにいる Opera は 1% 未満に甘んじている。ただそれだけの事だ。

Opera はそこまでしてデスクトップで「大衆ブラウザ」になる気はあまりないのだ。眠りから目覚めさせる王子様は要らないのだ。.dll のコピペすら出来ない層がデスクトップで Opera を使ったところで、そうした人から得られるフィードバックが携帯端末用 Opera に役立つと考えていないのだから。そうでもないと思うけど。

2世紀から 3世紀にはキリスト教の教義も定まっておらず、そんな時代に大衆がキリスト教を「信じ」たのは奇跡と予言だという指摘が興味深い。理論性の欠如したキリスト教を「信じ」たのは無知な大衆という事。

最後の引用は直接ブラウザの話題とは関係ないが、popularity とはそういうもの。