質の差

かつて私はハーレー・デイビッドソンのバイクを所有していた。言われているほど目茶苦茶なバイクではなかった。ハーレーには無数のカスタム・パーツがある。シリンダやピストン、フレーム、ホイールといった主要部品にも社外部品があるから、そららを置き換えて全く別のバイクにしてしまうことさえ可能な程だ。
しかしここに一つの問題がある。少なくとも妥当な値段で手に入る部品の多くは、始めから付いているハーレー社の部品に比べて、明らかに質が落ちるのだ。代えた部品から錆びが出てくるのだから、誰にでもその違いが分かる。
もちろん、いわゆるカスタムをする人たちは、それを承知でカスタムをして、自分好みのハーレーにしてゆく。既製の部品を買ってきて付けるという、たかが着せ替えごっこをしただけなのに、世界にたった一つの俺のバイクになった気になる。その是非はここでは問わない*1
高品質のカスタム・パーツが安価で出回るのが、より良い唯一の解決法であるのは明らかだ。しかしもう一つの考え方がある。多少品質に問題があっても手に入れやすい安い部品があった方が良いじゃないか、というものだ。低廉で誰でも手に入れやすい部品があった方が、幸せになれる人の数が多いはずだという考え方だ。出来合いのアングルを手に入れて、穴を開けて簡単な部品を作る。素人仕事だから、見栄えは良くなかったりするが、自分の要求には応えている。
さて、どちらが良いのだろうか。
もちろんハーレー社は立派な企業だから、やたらなアフター・パーツを自前で公道を走るバイク向けに売ったりはしない。ものすごくうるさいハーレーに付いている直管マフラーは、ディスプレー用に販売されているものを、ユーザが勝手に付けて公道で乗り回しているに過ぎない。その多くは社外のパーツ・メーカーが勝手に作って売っているのだが、たとえそれを作っているのがハーレー社であっても、錆びようが走行中に落ちようが、全ての責任はユーザにある、そうだ。

*1:もちろん本格的になると、いわゆる一品モノの部品を作って、文字通り世界に一つのバイクを作る人もいる。